与太がらすNPO法人 熊野生流倶楽部 スタッフの雑記帳です。気楽にお読み下さい ∈^0^∋
【熊野塾瓦版】スタッフからの熊野塾報告。
【日々雑感】スタッフからのメッセージ。
【与太話】スタッフのクダラナイおはなし。
【ツアー・イベント報告】その名の通のもの。

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熊野って? 10:40
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     私は自然が大好きで、十年前に世界遺産になった熊野古道と初めて出会い、お仕事や人間関係でふと疲れてしまったときに、熊野をたびたび訪れています。


     前々から、お寺の尼僧さんや修行僧さんのような一途な姿に、なぜかしら心の中で魅かれたりして、いつも気になっていたのですが、熊野へ行って古道を歩いていたら、こころの中のそのことが、次々と走馬灯のように鮮やかに甦って来たのです。


     何かすごく、自分が大きなものに包まれたような、ふわっとしたしあわせな気分になり、遠い昔もきっとここを歩いたなぁ♪と言う記憶がはっきりと出てきて、思い通りにいかない人とのお付き合いの悩みなどが、嘘のように消えてしまったことを思い出します。


     ふだん自分のこころの底に、気付かず忘れてしまっている夢とか想いや、自分も知りたくないような、相手の人に隠している心が、熊野の自然のおおらかな空気によって、解き放たれる気がしています。


     結局、自分の想いで、自分はいっぱいだったんだなぁ〜♪と、ありのままでいいんだよって、ふと熊野古道が気付かせてくれたんですね。


     こころに良く効く熊野古道に、皆さんも時間を見つけて行ってみませんか。♪美久尼(^-^)/

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    テーマ「絆を結ぶ」 00:43
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      「絆」が出来るためには、まず出会い。
      私にとって出会いと言うと「一期一会」という言葉が、すぐに頭をよぎる。

      「結ぶ」ということだから、自分の意思によって「結ぶ」か「結ばないか」ということになるだろう。一期一会の出会いから、どう絆につなげていくか・・・。
      偶然の出会いの瞬間に「あっ、この人!!」と思える場合もあれば、何度も何度も会っていく内に「腐れ縁」で結ばれていくこともあるだろうし・・・。何を基準にしているのかなぁ・・・。

      そんなことを考えていたら、ニュースで「一目惚れの判断は0.5秒」という記事が目に入った。アメリカの心理学者の研究で「他人を魅力的に感じたり、仲良くなる可能性があると判断するにはわずか0.5秒しかかからない」という内容。
      「ふ〜ん。結構、即決して居るんだ」と感心してしまった。

      この判断が「絆を結ぶ」ための条件の何%を占めているのかは不明だけど、結構直感で決めちゃっているのね。この直感がなるべく高い確率で取り入れられるように、五感が鈍らないようにしておかなくちゃ。
      【加ト吉】
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      乾いた大地にて 05:53
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        アメリカのアリゾナへ1週間ほど出張に出ていて3日ほど前に戻ってきました。
        グランドキャニオン〜モニュメントバレー〜ホピ(ネイティブアメリカンの
        部族)居留地、が主たる訪問先だったのですが、
        グランドキャニオン以外は「乾いた大地」でした。

        モニュメントバレーの奥には、やはりネイティブアメリカンである
        ナバホ族の方が住んでいます。モニュメントバレーの中に住もう、と思う
        ナバホの人は、昔ながらの習慣を守ろう、と考えている人たちです。
        集落を作らず、家族単位で暮らしています。水はないので、
        国立公園・モニュメントバレーの外にある小さな村まで、水を確保しに
        車で出かけていくことになります。車があっても、その労力たるや
        大変なものだと想像できます。

        ホピの村は、訪れたどの土地よりも温度が高く、大変乾燥していました。
        彼らは村をつくって暮らしています。
        村の中には、電気も水もひかず伝統的な暮らしを守ろう、と思う人たちと、
        それらの恩恵を積極的に受けよう、と考える人たちがいて、せめぎ合いが
        行われています。
        電気をひいていないお宅でも、屋根にはソーラーパネルとテレビアンテナを
        とりつけたりしています。
        村という単位になっているので、合衆国政府は学校をつくって子供たちに
        英語での教育を義務付けたりすることが容易だったようで、伝統的生活は
        かなり薄らいできているのかもしれません。

        どちらが良い、というわけではなく、これが現実、ということなのですが、
        旅を通して、「水」のことをいろいろ考えさせられることになりました。

        ホピの女性が、「水の多い国からやってこられたあなた方に、この乾いた大地に雨が降って作物が育つことを祈ってもらいたい。そして、日本に帰ってからも、水辺に行った時にはやはり、私たちの土地に潤いがもらたされることを祈ってくださいね」と言いました。

        日本では、時に取水制限があっても、水不足はいつかは解消する、と信じています。緑の多いウェットな土地に私たちは暮らしています。
        土地や育った場所の影響を大きく受け、私たちのこころは潤っていたのだと
        思います。でも、エアコンや除湿機で部屋をドライに保とうとするみたいに、心までドライになって来ている私たち。とても悲しいですよね。

        日本人よりも、はるかに自然と共生する生活スタイルを守ってきたネイティブアメリカの人の心、決して乾いていない、と感じられました。
        それは大地が乾いている、とか乾いていない、とかをも超えていました。
        もちろん、
        合衆国政府の政策によって、自分たちのアイデンティティを見失い、
        ドラッグに走ってしまう人を多く出してしまった、という残念な事実もあります。自然と乖離することの恐さを物語っているような気がします。

        雨の季節、まとわりつくような湿気に「いやだな」と思う時も
        ありますが、これも恩恵なのだ、と考えられるような自分でいたいと
        思っています。

        【みどり山】


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        しっとりと・・・こころ潤わせて 00:26
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          ついこの間にブログを書いたと思ったら、早!一ヶ月が過ぎようとしているぅ〜。ほんまに一日は24時間なの?って感じ。時間ドロボーは確かエンデの「モモ」のお話でしたっけ??
          5月末からサラリーウーマンを始めて、いきなり毎日、朝から晩まで(当たり前なんですが)時間を取られる事になり、ある日ベランダの植木達がへなへなしてきている事に「あらぁ〜大変!」とあわてて水遣りをしたものの、たぶんダメになった鉢もあるだろう。
          マンションに引っ越してきて、殺伐さをやわらげたいと一つずつ増やしてきた。挿し木をして増えたもの、種から育てたもの(アボカドも)、気がつくと結構な鉢の数。ベランダの避難はしご用の蓋の部分にもびっちり。いざという時はベランダから飛び降りるしかない。
          植物は正直だと思う。手を掛けてやれば美しい花を咲かせたり、緑の葉を繁々とさせる。せっせと世話をしているつもりの自分が実はとても平安な気持ちにさせてもらっている。
          宮迫千鶴さんの著書「魂を大切にする生活」に<緑の手>の話がある。とても植物を育てるのが上手な人の手をそう呼ぶのだとか。
          単にお水だけ遣っていればいいのではないことに気づかされる。忙しいは心を亡くす事。たとえ生活の為とはいえ、心のうるおいを亡くして、干からびた心の人にはなりたくないよなーと反省しきり。
          【ひろぴ】
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          「潤いのこころ」について 15:10
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            「潤う」を辞書で引くと
            1 ほどよい水分を帯びる。水分が行き渡る。湿る。
            2 利益や恩恵を受ける。
            3 豊かになる。ゆとりができる。
            と書かれていた。
            これらの語句に「こころ」を付けてみると
            「ほどよい水分を帯びたこころ」「水分が行き渡ったこころ」「湿ったこころ」「利益や恩恵を受けたこころ」「豊かになったこころ」「ゆとりができたこころ」、う〜ん、なんて幅広いんだろう。
            でも、やはりここでいう「潤いのこころ」は「豊かになったこころ」と「ゆとりができたこころ」だろう。
            心が豊かになるプロセスを心理学的に考えると、最初は生きていくために必要な欲求を満たすこと。それが安定的に得られるようになると、次に自分の存在を認めて貰うこと。これが安定すればこころに「ゆとり」が出来き「豊とは何か」ということを実感できるようになる。
            しかし、これらのプロセスを無視して「豊か」「ゆとり」「潤い」を求めてしまうと、物質的な欲求に走ってしまい、手に入れても、手に入れても満足の出来ない(潤えない)悪循環になってしまう。
            こころが潤うためには、段階が必要であり、そして「人は人でしか磨けない」と言われるように、潤いのあるこころを持った人に磨いて貰うことで「つやつや」「すべすべ」のこころに成れるのだと思う。
            ギザギザ、ガクガクとした潤いのないこころに成らないよう、気をつけなければならないし、相手をそんな風に磨いてしまわないように、日々こころにゆとりを持っていたいものですね。
            【加ト吉】
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            《潤いのこころ》 23:13
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              渇いた大地とココロに潤いを・・・!
               天空を仰げばギラギラ太陽・・・「何て暑いんだろう!」去年もそうだったけど、夏日に、真夏日に、猛暑日・・・さらに、酷暑日も極暑日と言う言葉も、早くつくらないといけない程、今年の夏も高温小雨らしいよ。来年からの京都議定書の実施を控え、地球温暖化が深刻な異常気象を招いていることは、もう誰の目にも明らかになってきている訳だけど、たちまち困るのは「渇水」・・・海が70%もある水の惑星なのに、温暖化によって「潤いの循環」が 壊れはじめてるんだよ。

               そして毎日の世の中の出来事をみれば、目を覆うような凶悪殺人事件の数々。親が子供を・子供が親を、夫が妻を・妻が夫を・・・。善意でつくった赤ちゃんポストは、安易に子供を捨てる箱になってしまうし、どんどん機械が便利になっていく中で、生命が、愛が、フッーとシャボン玉の泡のようにはかなく消えていく「渇愛」・・・水分が70%もあるカラダなのに、情報化によってココロの「潤いの循環」が壊れはじめてるんだよ。

               潤いを失った「渇いた地球」に「渇いたココロ」・・・もう、丸ごと砂漠化と言っていいのかも知れないけれど、日常のお肌のカサカサもやっぱり水分の補給がポイント。でもだからといって、よその水を取りに行ったらたちまち争いが起こるんだ。水っていうのは、すべてのものを生かし養うんだ。それでいて誰とも争わず威張りもせず、高いところを好まず常に低いところをめざし、出会う草木や人に潤いを与える。相手に合わせて自分のかたちを添わせ、相手のチカラを十分に引き出す・・・きっと水は、自らの善き働きをよーく知っているんだと思うんだ。

               水は、決して我を張ったりしない生き方だから、相手も活かし自分も活かすことができるんだと思う。自我という水を捨てた時に現れる「潤いのこころ」は、いくら汲んでも汲んでも滾々(コンコン)と湧き出る泉のように、尽きないものなのさ。一人ひとりのカラダの70%は水なんだから、みんなココロの泉を持っているんだよ。さあ、ココロに潤いの水が降り注ぐように自ら雨乞いをして、ひとしずくでもいいから渇いた地球に打ち水しようね!
              【卍萬爺】
              | テーマ | - | - | posted by kumanoseiryu - -
              いやはや・・・大変でした! 00:27
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                「生きる勇気」 日本語としては別段難しい言葉ではないと思われたが、
                いざ、自分なりに生きる勇気って何だろう?と考え出すと、いやはや結構難題である。
                最近は「生きる」ってことについて正直なところあまり深く思慮したことがなかった。
                当たり前のように毎日を生きている自分がそこにいる。
                朝起きて、ご飯を三度食べて、新聞・本・TVなどを見て、掃除・洗濯、買い物、諸処の用事を片付け、お風呂に入り、眠くなれば寝る。の繰り返し。
                生きることに勇気がいるなんて思い及ばない、傲慢な自分がそこにいる。

                今回、お題をいただいて、結構毎日考えてみた。自らを見つめてみる。
                この世に生を受けて四十数年・・・、その中で「生きる」ことを意識した出来事もいろいろあった。
                最近では進行性の難病を患った母との同居生活。今、特に何か切羽詰っている訳ではないが・・・。
                確かに毎日はなんだかんだと過ぎて行く。うれしいこともあれば、悲しいこと、辛いこともある。
                母と顔を突き合わす時間が長いせいか、つい一言が出て喧嘩になる。「なった者でないとこの辛さはわからんのよ・・・」「どうせ○○だから」etc と言われるとついカチンときてしまう。
                たぶんどこか自分の将来を母に投影していて、もっと強く、前向きに生きて欲しいと思っているからかも知れない。
                遺伝性というプレッシャーが気にしまいと思っていてもどこか心の深層に澱んでいるのか・・・。なったらなったでしゃーないと思いながら、自分ならどう生きることが出来るのか自問自答を繰り返す。

                神学者のパウル・ティリッヒは「生きる勇気」を、存在への勇気(The Courage to Be)であるといった。
                勇気とは相手に自分を表明する態度であるとともに、自分自身を受け入れる態度でもある。超越者から無条件に、ありのままの自分が受け入れられていることを認める勇気、それが生きる勇気の源泉である

                こんな一節を見つけた。
                うまくまとめる事が出来なくて、パソコンの前で悶々としている時に農水相の自殺のニュースが飛び込んできた。国民のお手本であって欲しい政治家に
                「生きる勇気」を示して欲しかった。いったいこの国はどうなるんだろう?
                【ひろぴ】
                | テーマ | - | - | posted by kumanoseiryu - -
                一人じゃ生きられない。 08:34
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                  「生きる勇気」というテーマの「生きる」というフレーズから思い出した映画があります。
                  市役所に勤める初老の渡辺は日々無気力に過ごしていたが、ある日自分が胃ガンで余命が
                  少ないことを知る。絶望の果てに、自分の無意味な人生に愕然としていた時、奔放
                  に生きる部下のとよと出会い、力強く生きる姿に心を動かされる。そして無意味に
                  感じていた自分の職場で意味を見つけ、「生きる」ことの意味を取り戻す。
                  黒澤明監督の1952年製作の志村喬がブランコをこぐ日本映画史上に残る屈指の名シーン
                  で有名な名画である。もちろんモノクロの良き時代の映画である。
                  1952年は私がこの世に生かされた年である。当然この名作「生きる」を見れる訳がない。
                  後年、DVDで鑑賞してそのヒューマンドラマ映画に感動した次第である。
                  人間の姿を、釈尊は、 「独生独死 独去独来」 と仰有っています。
                  つまり「独り生まれ、独り死ぬ。独り来たりて、独り去る」 と読み、「所詮、
                  人間は一人ぼっちなのです」という意味です。でも、人は生まれ、死ぬ間の人生でたくさんの
                  人と出逢い、別れのご縁を持ちます。生きる勇気を支えられる人と出逢っているのです。
                  人間、一人じゃないよ。みんな繋がって生きている。循環しながら時代を生きている。
                  自分だけじゃない。多分、「生きる」ことの意味を探しながら人の字のように寄添って生きている。
                  夫婦、友達、親子、兄弟…アナグロやデジタルの社会環境が変わっても、変わらない理があります。
                  人(自分)はきっと、喜怒哀楽の旋律で生かされている森羅万象、自然の一部に過ぎないんですね。
                  楽に楽に、一生懸命生きてみましょう。一人じゃないですから…。国士夢想2
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                  生きる勇気、私にとって生きる勇気とは・・・ 00:32
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                     今の私は何より、親より先には逝けないという気持がとても強い。寝たきりの母に最期の時を如何に安らかに迎えさせてあげられるか、それは結局本人次第ではあるけれど、その時までに母が生きてきた意味を、私を通して少しでも感じてもらえたらと願っている。
                     最近「自殺大国日本」と言われるほど、自殺者の数が増えている。大人も子供もいずれも自らの命を絶つ人が絶えない。きっとそれぞれに辛い思いがあるのだろうけど、残される者の気持をもう一度考えてもらえたらと思う。ちょっと力を抜いて振り返ってみて、自分自身を外側から眺めてほしい。今まで生きてきた中に何かかすかにでも光が見えてくるのではないだろうか。
                     ただ、生命の原点でもある母親に見捨てられた幼い子供たちには、何と言えば良いのか皆目わからない。人は生まれた瞬間、母またはそれに代わる者が自分にとっての世界そのものであるように、幼いほど自分の知らない世界がまだまだあることに気づかない。いつか希望の光が差すといっても気休めとしか感じられないのではないだろうか。
                    それでもあえて、言いたいと思う。
                     「どうか子供たちよ、この世界に、あなたの未来に、必ずあなたを待っているものがあります。それは愛する人かもしれないし、あなたにしかできない役割かもしれません。でも必ずあなたを必要としていることを信じて生きて下さい。」

                     信じること、それが勇気につながると今の私は感じている。
                    私もやがて母が次の世界に旅立った時、また新たな出会いや縁を信じて生きていこうと思う。
                    (母が聞いたら、自分の死ぬ話ばっかりっ!!て怒られそう、ごめんねお母さん!)【こきん】

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                    わたしの「生きる勇気」とは 12:35
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                      「生きる」という単語を聞くと、職業柄どうしても「死ぬ」という単語が思い浮かぶ。
                      この世の中に生を受けて生まれ、そして死んでいく。
                      誰もが避けられないごく自然なプロセスなのに、「生きるのが辛くて死んでしまう人」や「死にたくないとあがきながら死ぬ人」などさまざまだ。
                      できれば自分が死ぬときには「ありがとう」と一言いって死ねればいいなと思う。
                      この「ありがとう」の言葉には、「○○さん、ありがとう」とか「○○だった、ありがとう」などとありがとう以外の言葉に何も付け足すことなく、「偏らない・捕らわれない・拘らない」気持ちでの「ありがとう」の一言だけ。
                      そう言って終われる自分になることが、生きている間に必要であり、今の私の「生きる勇気」なか。【加ト吉】

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